2012年05月15日
シルクロード紀行(10) ザグレブ 高澤明敞
その昔、向かい合う二つの地区、教会区のあったカプトル地区と商業の盛んだったグラデーツの丘の集落によって繁栄していたクロアチアの首都ザグレブ。
ブダの丘でモンゴルに大敗したハンガリー王ベーラ四世は、ここザグレブに逃げ延びてきたといわれている。ベーラ王は市民に歓迎され、モンゴル退却後はグラデーツの丘を王の自治市としたとのことである。
商業の自由が認められ街はますます発展したようだ。
旧市街の丘へのケーブルカーで登って見下ろした新市街は正に典型的な中央ヨーロッパ。
正午の大砲が鳴る見張り台があり、名所旧跡の詰まった見応えのあるこの丘を下って、町のシンボルであるサンマルコ広場へ。



2012年05月12日
私の三十一文字日記(三十) 牛島 照夫
2011年12月
2011年12月01日(木)
2011年12月02日(金)
師走来て流れる時は止め難く 果たせぬことに想いを寄せる
2011年12月03日(土)
荒天の朝房総にやや強い 地震があって六時に起床
2011年12月04日(日)
快晴の初冬の朝は西の方 丹沢の上白き富士あり
2011年12月05日(月)
フランスの数の読み方こみいるは 理性ぶつかる跡と判断
2011年12月06日(火)
恒例の配水管の清掃の 準備始末で一日過ぎる
2011年12月07日(水)
氷雨降る駒場キャンパス一隅で 才媛語る成果聴講
2011年12月08日(木)
開戦の年より七十年を経て 福島事故で世界を汚染
2011年12月09日(金)
八年の苦楽の友のコンピュータ 別れの時の近づくを知る
2011年12月10日(土)
大雪(たいせつ)に入り四日目晴となり 丹沢連峰上に白富士
2011年12月11日(日)
冬晴れの青空の下高層の 棟のアンテナ朝日に映える
2011年12月12日(月)
人権の集い参加し練達の 小児科医師の講演を聴く
2011年12月13日(火)
投稿の戸山33ブログ欄 深夜に開き掲載を知る
2011年12月14日(水)
千代田線根津往復し二時間の 会合に出た昨夕回顧
2011年12月15日(木)
政権の党の理と知に期待して 脱原発の確立望む
2011年12月16日(金)
晴天の朝を迎えて高層の 屋根の上越すクレーンが立つ
2011年12月17日(土)
福島の事故原発の状況を 首相は語る「冷温停止」
2011年12月18日(日)
晴天も短日となり早夕べ 次の木曜冬至と思う
2011年12月19日(月)
竹槍でお国のために戦った 情緒の国の原発の事故
2011年12月20日(火)
金主席去るの報道夕刊を 丁寧に読みテレビを視聴
2011年12月21日(水)
千代田線都心地下経て湯島下車 池の端より徒歩本郷に
2011年12月22日(木)
冬至来て冬本番の多摩の朝 炭焼き珈琲気力涵養
2011年12月23日(金)
日出づる国の天皇誕生日 冬至翌朝、朝日待望
2011年12月24日(土)
暮れ近き三連休の始めの日 郵便局の窓口に列
2011年12月25日(日)
クリスマスイブに買い物客は来て 百貨店ビル賑わいがある
2011年12月26日(月)
今年の残る六日を活用と 思う心で朝の珈琲
2011年12月27日(火)
委員長想定外への対応の 準備欠如をテレビで語る
2011年12月28日(水)
消費税上がる見込みは濃厚に 日本経済再建なるか
2011年12月29日(木)
賀状には明るく楽しく新年を 過ごしたいとの望み書き込む
2011年12月30日(金)
調えた賀状投函その後で 葉月日記の入力をする
2011年12月31日(土)
大晦日三・一一とその後の 緊張想起しじまの朝に
あとがき
「三十一文字日記、みそひともじにっき」は朝起きてからしばらくしてつけます。日記の前に書いてある日付は、日記をつけるときの日付です。
「三十一文字日記(二十九)」のあとがきに書きましたが、「地形社編 昭和十六年 大東京三十五區内澁谷區詳細図」の人文社による復刻版を持っています。この地図では、新宿高校は、第六中學校と書かれその左上に道路を挟んで四谷新宿駅が記されています。四谷新宿駅は今の新宿の大通りに面しています。大通りには市電が通っています。四谷新宿駅の上方に「京王前」と書かれています。市電の停留所名と思われます。四谷新宿駅が京王線
京王線
昭和十六年当時の京王線は、四谷新宿駅−駅前駅−
このあとがきを書いているうちに、一回り上の卯年生まれの知人とお話したり、インターネットで検索したりして、
京王電車の始発駅は、昭和十六年、すなわち1941年当時、現在の新宿三丁目あたりにあったこと、
駅前駅が京王線
などを知りました。
私の新宿の記憶で遡れるのは、二幸前に都電の始発駅があった所からのようです。1946年から1948年の小学校低学年の時に見たのだと思います。1953年の中学二年の始めに酒田から東京に戻ってからは、三軒茶屋が始発で下北沢、代々木大山町、幡ヶ谷など経由して新宿に行くバスに乗って、三越、伊勢丹などに家族と一緒に行ったことを覚えています。百貨店界きっての老舗の三越は、今では伊勢丹と資本提携したと聞いています。 時の流れを思いしみじみとします。
