2010年06月01日

  書評    小林 正英

韓国海軍の哨戒艦が魚雷攻撃を受けて沈没したとの報道がなされた。[哨戒]:敵の襲撃に備え、見張りをして警戒すること。――広辞苑。一体この艦は何をしていたのだろう。察するに艦長は爆発が起きた時に救助を求めると同時に近海の脅威を速やかに発見し排除するよう指令部に打電した筈だ。そのあたりの顛末は一切報道されていない。そう、朝鮮戦争は未だ終結しておらず、休戦状態にあることを理解しておかねばなるまい。

 

「ザ・コールデスト・ウィンター」ー朝鮮戦争 上・下

 デイヴィッド・ハルバースタム 著 文芸春秋社 200910

 

ロバート・ウッドワード(元ワシントンポスト紙)と並び、昨年交通事故で

急逝した政治評論家のデイヴィッド・ハルバースタム(元ニューーヨークタイムズ紙)の遺作大作である。

20世紀最悪の胸くそ悪い小戦争」と言われる朝鮮戦争。19506月スターリンの巧妙なバックアップを受けた金日成の38度線南への侵攻に始まり、あっと言う間に釜山まで退却した南朝鮮は、国連のバックアップを受けた各国義勇軍と米軍を中心に反撃に転じる。そして今度はマッカーサー率いる連合軍は38度線を北に越えて鴨緑江付近まで進出する。そこに狡猾なスターリンは毛沢東に圧力をかけて、中国共産党軍を参加させ38度線以南に押し戻し、すったもんだの末に休戦となる。その後北も南もいろいろあったが、戦史的に見れば現在でも1950年の開戦時と変わらない状態が続いているのだ。

1950年といえば、日本はまだ占領下にあり連合国最高司令官マッカーサー総督のもとにあり、総督思い入れの世界に冠たる平和国家日本の建設を目指していた。1945年の第二次大戦終結と同時に朝鮮、台湾は日本から切り離され、朝鮮は38度線をはさんで南・北の二国家、台湾はどっちつかずに蒋介石の国民党軍の反共内戦基地の役割を果たしていた。アメリカ国務省はCIAを通じて密かに援蒋作戦をすすめていたので、南朝鮮への関心は台湾より低くまたマッカーサーは1951年の講和条約に向けて日本復興に邁進していたので、アメリカにとっては朝鮮半島はいわば無関心の真空地帯だったのだ。そこへ行くと

スターリンは抜け目ない。朝鮮半島を支配できれば、長年の夢である不凍港はいくらでも使えるし、憎い日本も手の内に入る。やる気満々の金日成(いまだその出自は不明らしい)を押し立て、準備万端38度線を超え南に侵攻し3週間で占領完了の予定だった。まさに準備なきに等しい南側は連戦連敗でアメリカを含めて多くの将兵を失った。そして必死の反撃が始まる。その兵站となったオキュパイド ジャパンは朝鮮特需だと言ってウハウハ喜んでいたのだ。ちょっとした躓きがすぐ日本を戦場に変えたかもしれないと言うのに。

 反撃の総指揮官は東京にいるジェネラル マッカーサーである。このプライド高い、妥協なきスーパー・エゴイストの生い立ちと、軍内部・国務省・ホワイトハウスとの確執について作者は50ページ以上の紙面を割いている。内容はウィリアム・マンチェスター著「ダグラス・マッカーサー」の参照である。

次に大戦終結の1945から1950までの大国アメリカのお家事情が細かく記述される。復員兵の状況、大幅な軍縮と冷戦への対応、ヨーロッパの復興支援などで国務省、国防省、トルーマン大統領は頭を抱える毎日だ。ここで作者はアチソン国務長官の存在にフォーカスをあてて、紙面に詳述する。どうもこの時代の世界を最もよく見通した存在だったらしい。唯一の原爆保有国アメリカに戦いを挑んでくる国は無いと高をくくっていたアメリカも1949のソ連の原爆開発成功には参ったようだ。肩入れしていた、蒋介石の国民党軍も1949に壊滅して、毛沢東の中国共産党政権が誕生したことはアメリカ国民にとって大ショックだった。作者はここで大学卒でない唯一のアメリカ大統領トルーマンの特質を長々と記述している。

 そして本文は朝鮮の戦場へと戻るのである。

釜山橋頭保攻防戦:

三週間で占領すると言って侵攻した金日成、戦闘は三か月目に突入した。仕上げは敵を海に追い落とすこの釜山橋頭保の攻撃である。日本の関東平野ほどの

面積に総攻撃をかけるが、アメリカ軍も本土から続々と駆け付ける応援を得て大激戦となる。文字どうりの背水の陣を敷いての反撃に遂に北朝鮮人民軍は退却に転ずる。激しい白兵戦が多く両軍の損害は大変なものだったらしい。

仁川上陸作戦:

かねてから計画されていたこの水陸両用作戦は、これぞアメリカ軍の技術を結集した作戦だとマッカーサーの不退転の決意であった。しかしこの潮位差の大きな砂浜の無い海岸へ一個師団の兵力を上陸させる危険な奇襲作戦をワシントンの統合参謀本部は二の足を踏んだ。しかしマッカーサーは海軍を説得して間髪を入れず915日の払暁にこの大バクチを決行しソウルを奪還する。

越境:

仁川上陸作戦の成功で国内で無敵の地位を得他マッカーサーは軍事のみならず政治への発言力も強める。この際38度線を踏み超え鴨緑江まで軍をすすめて朝鮮半島統一を計るべしとの決意を固めた。彼は中国共産党軍の全面参加はないものと確信していた。しかしワシントンでは冷戦構造の中でのスターリン、毛沢東の出方について議論百出であった。ここに国務省のラスクやダレスなどの反共強硬派が勢力を拡大してきて、ついにアメリカ軍、国連義勇軍の越境が決断されてしまう。金日成は追い詰められて、スターリンに助けを求めたが狡猾なスターリンは義勇空軍の参加を除いて、地上勢力支援を毛沢東に振ってしまう。当時の力関係から毛沢東は仕方なく35個師団(40万人規模)に及ぶ大軍を鴨緑江手前に密かに集結待機させたのだ。

休戦まで:

 アメリカ軍・国連義勇軍は大した抵抗も受けずに北上を続ける。鴨緑江付近の雲山に差し掛かったところで、待ち構えていた中国軍の精鋭(内戦を戦いぬいてきた)に大反撃を受け総崩れとなり、零下30Cの中で敗走を続ける。仁川上陸作戦の成功に慢心したマッカーサーは、東京から現地の状況を無視して号礼を掛け続け、現地司令官の戦意喪失を招き、再びソウルを明け渡してしまう。大のCIA嫌いのマッカーサーは諜報戦に負けたようなものだ。一方毛沢東はこの大進撃を狂気して喜び、イデオロギーの勝利であると全世界に中国共産党の存在を誇示する。しかし補給線の伸びきった中国軍も次第に苦戦に陥る。そこにマッカーサーに替わって司令官となったリッジウェイが登場する。彼はマッカーサーと違って現場主義の元空挺部隊のスパルタ司令官で、再び軍を立て直し中国軍を北へ押し戻す。マッカーサーはトルーマンやワシントンに対し、中国に進行して、一挙に共産党中国を倒し蒋介石の国民党政権を復活させようと、政治工作を試みる。しかし越権行為だとしてトルーマンから解任され、有名な「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」を残して退陣する。と、格好は良いのだが仁川の成功以降、軍内部でも国務省でも老害ぶりをまき散らしていたのが実態らしい。

 こうして生意気な毛沢東の人民軍と冷戦の敵トルーマンのアメリカ軍を戦わせて、ひそかにほくそ笑んでいたのは狡猾なスターリンであった。戦いは朝鮮半島中部で一進一退が続き、開戦後はや三年目に入った。一体この戦争を続けていて何の意味があるのだろう、と米中ソの首脳たちも考えだした。そこに

スターリンの急死、そして前年しぶしぶ合衆国大統領に押し上げられた

アイゼンハワーが立ちあがり19537月に遂に休戦の合意が成立するのだ。

金日成が三週間で終わらせると言った、戦争はあしかけ三年を戦って振り出しに戻ったのだ。この間アメリカ軍人の戦死者だけでも35,000人にのぼったと

言われる。その他多くの参戦国軍関係犠牲者、まして戦禍のもと朝鮮半島を北へ南へ逃げまどった一般民衆の人的損失は如何ばかりだったろう。

今日北朝鮮の核をめぐる六カ国協議が一進一退しているが、日本を除く五カ国はこの戦争を戦ったのだ。唯一の傍観者であった日本人は、この近くて遠い国で起こった事実を良く理解して事に当たらねばならないと思うがどうだろうか。

 

ベトナム戦争を描いた以前の作品「ベスト アンド ブライテスト」では、作者の実体験を踏まえた迫真の描写があったと記憶しているが、当作品は一世代遡った史実であるため間接話法でしか語れない。その分、迫力に乏しく、表現が冗長になってしまったのは残念である。読者にはそこそこの読み飛ばしをお薦めする。

                            以  上



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