2010年03月

2010年03月29日

   死の準備を考える (その2)    大歳忠彦

 先のレポートで死後の世界を信じる事は死の恐怖を大きく軽減する事、多くの宗教が死後の世界を約束している事を述べました。

今回は主な宗教について見ていきたいと思います。

 

1.仏教

 仏教が中国を経て日本に伝わった初期の頃、「六道輪廻」説が伝えられました。

人間が死んだら「六道」すなわち、天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六界のいずれかに転生する。人間が死んだら7日毎に7人の裁判官によって生前の行為によって審判を受け、49日目に最後の裁判官によって六道のどの界に行くかが決定される。死者はこの六道においても仏道の修行を続け、六道間を転生するが、仏の悟りにいたることにより、成仏しこの輪廻から解脱して極楽浄土に往生することが出来るという説です。

今の仏教ではこの様な「六道輪廻」説を信じる事はないようです。

 かわって、死者の魂が行くところとして「冥土」が想定されるようになりました。ここで死者はさらに仏道修行を続け、仏の悟りに至って成仏し、極楽浄土に往生することが考えられるようになりました。

「ご冥福を祈ります」というのは、死者が冥土で幸せに暮らせる様にとの祈りです。法事や法要が営まれますが、これはまた「追善供養」といって、施主が花や飲食をお供えし、読経することによって、故人や先祖に感謝し、故人の冥福を祈るとともに、自分を含めすべてのものが仏道を成就することを願う行事です。しかしそれらが、初7日、49日、1周忌、3周忌などの日程で行われるのは、前述の六道輪廻説のなごりと言えるでしょう。

現在の仏教における死後の世界観は宗派によって、大きく異なっているようです。浄土宗や浄土真宗は阿弥陀仏にすがり、阿弥陀仏に認められることにより直接阿弥陀仏の住む極楽浄土に救い取られるとします。

仏教の創始者である釈迦は霊魂と言った永遠的存在を否定し、生きている人間の悟り・生き方に焦点を合わせることを強調しました。今の仏教は釈迦の教えの原点に戻ろうとしているのかも知れません。

 

2.キリスト教

 キリスト教においては、「イエス・キリストを信じる者」は死後「永遠の命」が与えられてその霊魂が神とイエス・キリストの住む「天の国」(または「神の家」)に導かれて、イエス・キリストとともに永遠に生きることが聖書に記されています。ただし、お金持ちが神の国に入るのは駱駝が針の穴を通るより難しいとか、子供のような純真な心の持ったものでなければ神の国には入れないとか、純粋にキリストを信じる事が条件となっています。

天の国がどういうところかについては聖書にはなんらの描写もません。

一般に言われる「天国」または「極楽」とは異なるようです。

更に、キリスト教では「最後の日」というものがあります。その日は「キリストの再臨の日」といわれ、キリストが十字架の死のあと復活された時と同じ姿で地上に再度戻ってくるというのです。その日、神の御旨に反するものは全て滅ぼされ、死人も一端復活されて、神の御旨に沿うものは永遠の命を与えられて生き続け、御旨に反するものは地獄に落とされます。これが所謂「最後の審判」で、神の摂理が完全に支配する世界が実現するとされています。

キリスト教の教理では「神の国」が信徒の故郷とされ、むしろ死後の世界が重視されます。またキリストの復活によって死に勝利されたものとされます。

 

3.イスラム教

 イスラム教では、信教を貫いた者が天国に行って永遠に幸福のなかに生きるとされています。天国はイスラムの神アッラーが住む至福の楽園で、イスラム教の経典である「コーラン」に天国の様子が具体的に描写されています。

美しい花が咲き、果物や鳥の肉を好きなだけ食べられる。極楽です。

天国に行けるかどうかは、現世での行為によってではなく信仰の深さによって決まる。アッラーの敵との戦い(ジハード)によって殉教した者は最初に天国に行く権利が与えられる。この教理の悪用が自爆テロを支えていると西側から批判されるところです。

 

4.ヒンズー教

 ヒンズー教はキリスト教、イスラム教についで世界第三の宗教です。ヒンズー教での死後の世界は「輪廻転生」を説いたパイオニアーです。

ヒンズー教信者は死後別の人間または動物に転生してこの世に再度復活する。現世での信心と業(カルマ)によって来世で生まれ変わる動物、人間であればカーストの位階が決まる。現世でのカーストも前世での信心と業によって決められた。インドではヒンヅー教の確立以前からカースト制度と輪廻転生思想が普及していた。この輪廻転生が永遠に繰り返される。そこにあるものは「因果応報」の法則である。

このため、ヒンズー教の信者は死んでも墓を作らない。死者は火葬され、好ましくはガンジス川端の火葬台で荼毘にふし、その遺骨をすべてガンジス川に流します。

 

5.その他

古代エジプトにおいても死後の生命の存在が固く信じられていました。人類最古の書物といわれる「エジプトの死者の書」には永遠の生命にいたる霊魂の旅の行程が描かれているそうです。

 

 また多くの哲学者が死後の生命を信じています。

古代ギリシャのソクラテスやプラトンは霊魂不滅説を説いています。

哲学者カントは、魂は不死であると言っています。ゲーテも霊魂不滅を唱えています。パスカルは「信じれば手に入れることができ、そのことで失うものは何もないのだから、死後の永遠の生命を信じることに賭けるべきだ」と言っています。

 

 先日テレビ番組の「徹子の部屋」で有名な歌「千の風になって」の訳者・作曲者である新井満氏が、死んでも千の風になれることを信じると死ぬことが怖くなくなった、という多くの人から手紙をいただいた、と言っておられました。

いずれにしろ死後の世界を信じる事は死の恐怖を軽減する事は確かなようです。

 

 古い統計ですが、1999年のNHKによる日本人の意識調査で、死後の世界を信じる人は51%、霊魂の存在を信じる人は60%にいたりました。1980年の米国ギャラップ調査によると、アメリカ人の71%が来世を信じています。

あなたはどう思われますか?

 

 さて、死ではなくて通常避けがたい「老いによる孤独」についてデーケン先生は次のように語っています。「老いに伴う耐え難い苦しみは孤独だと多くの人が言う。孤独の最大の苦痛は、むしろ人々の中にいながらコミュニケーションがとれない事ではないだろうか?老年期の孤独を乗り越える方法は二つある。

一つは、孤独に負けず、少しでも他人のために役立とうと積極的に新しい「出会い」を求める生き方。「出会い」とは自分から出て行って会う事である。新しい出会いを消極的に待っていては出会いは起こらない。もう一つの方法は孤独を恵みとして、素直に受け入れることである。この二つの方法を合わせて行うのがもっとも好ましい。」

 以上参考になりましたでしょうか?



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2010年03月27日

  死の準備を考える (その1)     大歳忠彦

楽しい話題の投稿が多い中で、死に関する話をするのは縁起でもないと思われはしないかと、いささか躊躇したのですが、死とは全く無縁とは言えない年齢になった私たちにとって、死に対する心構えを準備する事は大事なことと考え投稿する決意をした次第です。

皆さんは親族や先輩、友人など多くの人の死を経験されてきたと思いますが、自分の死について考えてみた事はあるでしょうか?

 死をタブー視する傾向から、殆どの人が死に対する準備をしようとせず、何の心構えもないまま、愛する人の死や、自分自身の死に臨んでいると言われています。

 あなたがもし末期の病にかかり死が避けられないと宣告された時、あなたは少々の苦痛を我慢しても出来る限りの延命措置を望みますか?それとも少々命は短くなっても人間の尊厳を保って安楽な死を望みますか?

 あなたがもし、脳や心臓の疾患でコロリと死んだ時、あなたの遺産が何処にどれだけあって、それらの帳簿や印鑑がどうなっているか?

葬儀はどのような流儀を好むか?訃報をどのような人々に知らせるか?これらを配偶者か親族に知らせてありますか?

 

 私の場合、突然死が向こうから私に近づいてきました。

‘08年末に年1回の区の定期健診の肺のレントゲン写真で大きな肺がんが見つかりました。直ちに国立がんセンターで摘出手術を行い、引き続き1月から4月にかけて抗がん剤治療をうけました。5年間生存率30%と告知されました。

これに対し私が考えたことは、癌が完治する30%に賭けてあらゆる闘病に挑戦することを選択せず、むしろ近い死を覚悟しこれを受け入れて、心の平安を保って生きている時間を大切にする。残された時間を楽しみ、あるいは世にお役にたつことをする。すなわち死への心の準備を確立するということでした。

 私は数年前に洗礼を受けた初心者のキリスト教信徒です。

キリスト教では、イエス・キリストを信じるものは皆死後その魂に永遠の命が与えられ、神の家(天の国)に導かれて、キリストとともに永遠に生きることが聖書に記されています。しかしながら、初心の信徒としては知識としては知ってはいるが、いざ自分の事となると、本当に天の国は存在するのか?自分は天の国に行けるのか?といささか疑問を感じざるを得ませんでした。

私は何ヶ月にも亘って神に祈り、私がこれを信じる者となるよう祈りました。

今はほぼ7080%信じるようになっています。死後の世界を信じることは死の恐怖を著しく軽減させてくれます。死への心の準備を助けてくれます。

 私の入院中に、我が同級の岡晴夫慶応大名誉教授が数冊の本をもってきてくれました。その中で大いに私の興味をひいたのは、上智大学のアルフォンス・デーケン教授が著された「死とどう向き合うか」というものでありました。この本で私は「死生学」なる学問の存在を知りました。

死生学は死を研究の対象とするものですが、これを心理学、医学、哲学などあらゆる角度から研究する学際的な学問です。

死生学のパイオニアーはアメリカの精神科医エリザベス・キューブラー・ロス博士が1969年に発表した「死の瞬間」であると言われています。

彼女は多くの末期患者の心理状態について研究し、それを一般化し5段階の「死へのプロセス」として発表しました。

それを要約しますと、第一段階として患者が示す反応は「否認」です。そんな馬鹿なはずは無いと。第二段階は「怒り」です。何故自分がそんな目にあわねばならないのか?と。第三段階は「取引」、苦しい治療を受け入れます、とか、何かと引き換えに命を延ばしてくれるよう神に祈るという時期です。第四段階は「抑うつ」の期間。第五段階は「受容」。患者は避け得ない死の運命を平静に受け入れる。

この「死へのプロセス」説は現在でも生きています。先述のデーケン教授はこれに第6段階として「期待と希望」を追加することを主張します。死後の世界を信じる人は、永遠の未来を積極的に待ち望む。特に愛する人との再会への期待が大きい、と言います。

死生学はアメリカ、ドイツ、イギリスなどでは既に広く普及しているようです。

日本ではデーケン教授(ドイツ生まれで神父でもある)が40年近くにわたって普及に努めてこられました。

死生学の目的は「死への準備教育」です。

デーケン教授は言います。「自分の生命の終わり方について、どうありたいかを、元気なうちに、自分自身の考えで、はっきり方向付けしておく必要がある。自分自身の死を正面から直視して多角的に学ぶことにより、私達は人生の有限性と生きている時間の大切さに気づき、いかに生きるべきかを、あらためて模索し始める」と。だから死の準備教育は早い方が良い。アメリカやドイツでは小学校の教科に取り入れているところもあるそうです。

結論として「人間らしく死ぬというのは人間らしく生きるということです。」と。

 またデーケン教授は、早いうちに頭がぼけないうちに遺言書を作成しておくよう薦めています。遺言書は何度でも書き直すことが出来ます。最後のものが有効となるのです。遺言書は法的な文書ですから法的に有効なものでなければなりません。自筆して作成年月日と署名し、実印を捺印します。

私はこの薦めに従って、遺言書を既に作成しました。財産目録を整理してメモをつくり、遺族間での分配方法を指定し、希望する葬儀方法を指示し、訃報の通知先のメモも作りました。

死後の世界を信じ(100%ではありませんが)、遺言書の作成を完了すると、不思議にも非常に平安な心理状態に達したように思えました。死の恐怖から大きく開放されたと感じたのです。何と言っても死後の世界を信じるかどうかは、私の死生感に大きく影響したことは事実です。

 キューブラー・ロス博士は医者から死の宣告を受けた後生き返ったいわゆる「蘇生者」2万人以上にアンケートした結果、彼等の臨死体験の経験談から、死後のもう一つの世界がある事を確信するようになったと言っています。多くの蘇生者が死んだ直後、死後の世界で、既に死んだ愛した人々に会えたと言っているそうです。

 

また殆どの宗教にとって、死後の世界を約束することによって死の恐怖から開放することが大きな目的となっています。

 次回の投稿で、各宗教の死後の世界につぃて少々述べてみたいと思います。



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2010年03月15日

     グアム旅行の写真    五十嵐 眞

楽しかったグアム旅行の写真ができました。
1CIMG1447ビールで談笑初日、シーサイドでのBBQディナーとポリネシアショーの席についたところ






1CIMG1466a日没
南太平洋に夕陽が沈む






1CIMG1619ゴルフの前2日目、CCP(Contry Club of the Pacific)でのゴルフプレイ スタート前






1CIMG1720a表彰式
2日目夜、豪華な夕食後、シェラトンラグーナの最上階プレジデンシャルスイートでのワインパーティ

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    小幡松広君を偲ぶ   五十嵐 眞

安井直行君の昨年12月の「小幡君を偲ぶ」の記事を拝見しました。安井君とは在学中面識がなく、40才半ばをすぎてから千歳船橋にあった三菱養和会のテニススクールに通ったときに知り合いました。その時は戸山同期生とは知らず、後に同期会で顔をあわせ驚きました。

ニュージーランドの川辺君を訪ねる旅行計画(2006年)を小幡君と相談していました。出発も近づいていた頃急逝されショックでした。いつも渋谷のハチ公のところで待ち合わせていたのが昨日のようです。
ニューカッスル空港

ニュウカッスル空港にて







ありし日の小幡君ご機嫌の写真を掲載します。
(2002年10月に戸山2Cクラス有志他でオーストラリア川辺牧場に旅行したときの写真です
シドンーウォーターフロントレストラン
シドニーウオターフロントレストランにて



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2010年03月09日

      グアム旅行     西 俊久

今年も小泉、松村幹事のご尽力、田中健介さんのご好意のおかげで、グアムツ
アーが実現しました。

前回より少ない13人の参加でしたが、新装なったハイアット・ホテル(勿論これ
もケン・グループのホテル)でのバーベキュー、ポリネシアンダンスのショー、
Country Club of Pacificでのゴルフ、ホテル内のプレジデント日本で豪華会席料理、その後プレジデンシャル・スイートでワインパーティーなどなど盛りだく
さんの行事を堪能しましたが、何にも増して春は名のみの東京から一足飛び、心地よい海風とスコール、真っ赤な太陽の日没を満喫して大満足でした。

CCPでのゴルフでは、例によって成戸夫妻の圧勝を許しましたが、お二人は三日前からグアムに先行し、5ラウンド連投されたとか。小泉さんが四十肩が痛い(七十肩の間違いだろ!)などと言いながら豪打を見せ、ショートホールでは2mのバーディーパットを決めてニアピン、バーディーなど転んでもただは起きないしぶとさ。私を含め他の面々も駄目は駄目なりに(もちろん大半の方は駄目ではなかったけれど)日射病寸前のラウンドを楽しみました。

ゴルフ組以外も、甘利夫妻は太平洋の水平線まで見通せるプールで軽くクロールで2000メ−トル泳いで同行の年寄りの度肝を抜く、川崎さん昨年から始めたダイビングで自己新の32メートルダイブに成功など、大変な奮闘振りでした。

初日CCPでのゴルフに疲れた疲れたといいながら、懲りずに二日目にマンギラオで海越えの名物ホールに挑戦した方も9人おられましたが、私は一人ホテルに留まり、泳いだり、海風にあたりながら読書に努めたり、大変贅沢な半日を過ごしていたので、詳細は参加者からお聞きください。

あっという間に帰国の時間となり、不況の風はいずこジャンボはほぼ満席。ケン
社長が「この内3分の2くらいはわがグループホテル滞在客だ」と事もなくつぶや
いておられたのが印象的でした。3時間後には冷たい雨の東京です。

またの機会があるとよいがと願いつつ成田で解散。小泉さん、松村さん、田中さ
ん、本当にお世話になりました。ありがとうございます。

 



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