2010年05月

2010年05月28日

季節は巡る

霧の中で山奥の浅い春に夢見る水芭蕉の群れを従えて










生真面目に季節は巡る。
今年も春が逝って早くも初夏。

今月の11日から1泊2日で妙高・赤倉へ水芭蕉を求めての撮影旅行。
群生する水芭蕉を見下ろす一本桜は滅多に出会えない1枚。



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2010年05月26日

    私の三十一文字日記(八)   牛島 照夫

2010年2月

 

2010年02月01日(月)

 孫の手を引いて歩いて丘の上 日浴びて遊び昼すぎ戻る

2010年02月02日(火)

 立春の間近になって雪となり 多摩の梢も白化粧する

2010年02月03日(水)

 長寿者のプロダクティブなエイジング 説く碩学の新書購読

2010年02月04日(木)

 立春の朝は寒気が加わって 消え残る雪そこここに見る

2010年02月05日(金)

 五年間兼任講師担当の 講義終了春立つその日

2010年02月06日(土)

 世にあれば百二歳なる我が父の 誕生日来て在りし日偲ぶ

2010年02月07日(日)

 米国と対等なるの実現は のるかそるかの日本の課題

 

2010年02月08日(月)

 北国に大雪あって晴天の 多摩の西方清き白富士

2010年02月09日(火)

 旧制の高校生が一人逝き 戦の記憶一つが消える

2010年02月10日(水)

 土日の葬儀次第の知らせ受け 時の大事を思う朝来る

2010年02月11日(木)

 人生に限りのあるを銘記して この祝日を活かして生きる

2010年02月12日(金)

 みぞれから雪に変わるか窓の外 立春節気冬戻る朝

2010年02月13日(土)

 週末の多摩は朝から雪化粧 食卓に就き亡き人偲ぶ

2010年02月14日(日)

 都心地下くぐり抜ければ高層の 集合住居ビルの林立

 

2010年02月15日(月)

 西へ行く日の朝となり気を鎮め 珈琲を入れ朝食を摂る

2010年02月16日(火)

 ジャンボ機の消えた搭乗口に居て この二年余の激変を知る

2010年02月17日(水)

 我が想い心を籠めて語らんと 五時起床して講演準備

2010年02月18日(木)

 夜半より雪降り出して一面に 白化粧した朝を迎える

2010年02月19日(金)

 ヴァンクーバ冬の五輪は雪上の 曲芸師達宙に舞いたり

2010年02月20日(土)

 講演の後の思いを書き込んで 研究作業再開目指す

2010年02月21日(日)

 西の方朧なる富士多摩の里 晴れわたる朝春はそこまで

 

2010年02月22日(月)

 この冬の終わりの週の始めの日 朝は曇天富士山見えず

2010年02月23日(火)

 旧職場旧同僚を祝う会 講演会に引き続きあり

2010年02月24日(水)

 春近く全国的に暖かな 陽気広がる予報聞く朝

2010年02月25日(木)

 ネットにて朧に理解半世紀 分子生物学の進展

2010年02月26日(金)

 西南の隅の憩いの所なる 日比谷公園グリーンサロン

2010年02月27日(土)

 この冬を終わる週末雨となり 春の息吹の朝を迎える

2010年02月28日(日)

 この冬の終わる日曜雨降りて 雛と対面朝の珈琲

 

 

あとがき

 

 「三十一文字日記、みそひともじにっき」は朝起きてからしばらくしてつけます。日記の前の日付は、日記をつけるときの日付です。前日を回顧しての記録と当日の朝の所感が主な題材です。

 

 一日は0時に始まって24時に終わるのですが、0時と24時はその日に入るのでしょうか。日本の法律で定めている年齢計算法においては、一日を左半開区間(0, 24]と捉らえているようです。すなわち0時はその日に入れず、24時はその日に入れることにしていると思われます。左半開区間(0, 24]とは、集合の記号で書けば、

(0,  24] ={ x : 0x24

となります。ここで「時」は略しました。

 

 ある年齢に達する日の定め方を見てみると、一日を左半開区間(0, 24]と考えるのがもっともと思われます。達する日の決め方は、1902(明治35)12月に定まった「年齢計算ニ関スル法律」に基づいています。

 

 ある人の誕生日が229日でないとします。例えば826日とします。この人が65才に達する日はいつでしょうか。

 上の法律によれば65才に達する日は825日です。

 

 次のように説かれます。

 その人が64才で824日を迎えたとします。その日の内は当然64才です。

さて、日付が変わって825日になります。当然のことですが、その日が終わらない内は、依然として64才です。

 上の法律によれば、その日825日の終了時に1才を加えるとのことです。したがって、その日825日に65才に達することになる、とのことです。

これは、0時は825日に入れず、24時は825日に入れるとすることに整合します。

 

 このあとがきを書くに際して、インターネットで参照した情報の主なものを以下に記します。

 

 (1)年齢計算ニ関スル法律−ウイキペディア

 (2)年齢のとなえ方に関する法律−ウイキペディア

 (3)第154回国会 質問第154号 年齢の計算に関する質問主意書

 (4)衆議院議員平野博文君提出年齢の計算に関する質問に対する答弁書

 

 (3)は2002(平成14) 725日に平野博文衆議院議員によって提出された質問です。(4)は2002 918日に小泉純一郎内閣総理大臣の名前で綿貫民輔衆議院議長宛に送付されています。平野議員は現在内閣官房長官の職にある方と思われます。平野長官の見識を知る資料に巡り会いました。

 

 一日の定義を左半開区間(0, 24]として日本のすべての法律が矛盾無く解釈されるのか否かは、私には分かりません。この話題は文系の方には常識なのであろうと思います。法務に明るい同期の方に補筆訂正をお願い出来れば幸いです。

 



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武藤先生のこと   木下 恂

 今日(5月23日)の朝日新聞・読書欄を何気なくながめていると、

不意に“武藤徹”という字が目に飛び込んできました。これは、武藤

先生のことですね(添付画像参照)。なつかしく学生時代のことを思

い出しております。

 木下さんの投稿



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2010年05月09日

     私の三十一文字日記(七) 牛島 照夫

2010年1月

 

2010年01月01日(金)

 黄金の十年代を実現し 更なる国の栄えを願う

2010年01月02日(土)

 対称に数字の並ぶ日に生きる にまるいちまるまるいちまるに

2010年01月03日(日)

 正月の二日初売り百貨店 買い物をして内需貢献

 

2010年01月04日(月)

 まどみちお百歳記念ドキュメント うたにあふれる番組聴視

2010年01月05日(火)

 ドネーション例年通り送金し 晴れた心で子達迎える

2010年01月06日(水)

 孫は行き静寂の中気を鎮め 戸山33投稿準備

2010年01月07日(木)

 喜寿と聞く財務大臣辞任され 尽力思い健康祈る

2010年01月08日(金)

 ネイティブの英語講演スピードと 籠もる発音我には難し

2010年01月09日(土)

 正月が過ぎてツリーを地に戻す 作業は進む日溜まりの中

2010年01月10日(日)

 連休の朝は静かに時が過ぎ やまなみの上白富士清し

 

2010年01月11日(月)

 曇る朝成人の日に寒戻る 二十四節気小寒最中

2010年01月12日(火)

 成人の日よりはるばる半世紀 回顧する朝多摩にて生きる

2010年01月13日(水)

 ようやくに写真貼り付け習得し 寒中見舞い十余通出す

2010年01月14日(木)

 冬至より三週は過ぎ夕四時に 日差しはあって地は公転す

2010年01月15日(金)

 晴天が続き朝日を浴びる富士 白雲生じ見る間に変わる

2010年01月16日(土)

 新年の二週疾く過ぎ小正月 昼に日浴びて徒歩で買い物

2010年01月17日(日)

 五千年前より人の住むと聞く 多摩は晴天大寒近し

 

2010年01月18日(月)

 時かけて配布資料を点検し 見切り発車で複写を依頼

2010年01月19日(火)

 円高に良い面はあり電気料 請求書見て安値実感

2010年01月20日(水)

 大寒に入るその日は寒緩み 晴天の朝春は息吹く

2010年01月21日(木)

 暖かき大寒の日に家に居て 講義準備に力を尽くす

2010年01月22日(金)

 講義室壁三面の白板に次々板書百九十分

2010年01月23日(土)

 学生と収拾策を相談し 講義日を変え学を勧める

2010年01月24日(日)

 幹事長聴取を受けて告発の ありしを語る記者会見で

 

2010年01月25日(月)

 快晴の日曜なれど在宅し 講義・講演準備に終始

2010年01月26日(火)

 我が家より片道百分都心にて 講義・講演準備する午後

2010年01月27日(水)

 旧職場文化勲章受章した 卒業生を祝う会あり

2010年01月28日(木)

 寒戻る曇天の朝離れ住む 孫の青空保育案じる

2010年01月29日(金)

 対等の日米関係築けるか のるかそるかの民主政権

2010年01月30日(土)

 都心への往復車中座を占めて 睡眠不足解消の時

2010年01月31日(日)

 一月を終わる日の朝晴れとなり 春待つ心で多摩の空見る

 

 

 

 

 

あとがき

 

 「三十一文字日記、みそひともじにっき」は朝起きてからしばらくしてつけます。日記の前の日付は、日記をつけるときの日付です。前日を回顧しての記録と当日の朝の所感が主な題材です。諸般のことから、GWも過ぎた新緑の候に新年の記録の投稿となりました。

 

 新年に関連して、賀寿につき書きます。日本百貨店協会では、

 華寿(60歳)、緑寿(66歳)、古希(70歳)、喜寿(77歳)、

 傘寿(80歳)、米寿(88歳)、卒寿(90歳)、白寿(99歳)、

 上寿(100歳以上毎年)

としてその年齢の方の長寿をお祝いするべく、お客に奨めています。

 

 百貨店協会では、華寿(還暦)の他は、数え年で祝うことを奨めています。緑寿(66歳)は66の六をろく、りょく、緑と転じて百貨店協会が2002年に命名したそうです。華寿も私は始めてです。ひょっとすると、百貨店協会の造語かも知れません。広辞苑第四版は、華甲を還暦の異称として採録しています。華を分解すると、六個の十と一個の一になるからだそうです。数え年の61歳で、誕生の年と同じ干支に戻ることになります。

 

 66歳の年末に年賀状の準備をしている時に、数の重なるめでたい年なのに祝う言葉がないのは不思議だと思いました。そして思い至ったのは、七福神の中の福禄寿でした。6が二つで復6、だから、福禄。喜寿の祝いにそろえて、福禄寿の祝いとしたら、めでたい七福神の勢いを借りることにもなると一人で悦んでいたことを思い出します。

 

 上の百貨店協会の賀寿の表現は、中国の人たちには通じないとするのが無難のようです。中国伝来の華甲と古希は通じるのではないかと思います。その他はおおむね、室町期に始まって江戸期に定着した日本での漢字の使用法のようです。国際化の現代では、注意して良いことと思います。

 

 特に卒寿は中国の人たちには違和感がありそうです。卒はいくつもの意味がありますが、一つの意味は終わることです。(貴人の)逝去の意味でも使われます。数年前のことですが、中国の客人が日本に来て、ある賞の受賞者達の写真額を見て、その額の下に付けられた経歴説明の中に○○大学****年卒とあり、いぶかしげに卒の意味を私に尋ねたことを思い出します。

 

 現代中国の共通語である普通話では、日本語の卒業は畢業です。中華人民共和国の簡体字では、畢は比の下に十を書き、業はこの業の字の上部の五画のみを書きます。どちらの簡体字もこの原稿を作っているワープロでは日本語に混ぜて出力することは出来ないようです。

 

 現代中国語としての畢業の発音は、四声を無視して書けば、ビーイェとなるでしょう。普通話の発音はプートンホワが近いと思います。また、卒の発音はズーと書くのであろうと思います。

 

 畢(ひつ)の字は日本の常用漢字表にはありません。今次大戦前は、「畢竟(ひっきょう)するに」(結局、つまるところは)、「畢生(ひっせい)」(生涯)などは慣用されていたと思われます。「人の世は畢竟一場の夢にすぎぬ」との例文が集英社国語辞典には載っています。

 

 補足が長くなりました。軽々しく日中同文同種などと言ってはいけないと思います。日中和漢の言葉に造詣の深い同期の方に補筆訂正をお願い出来れば幸いです。

 

 



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2010年05月01日

    書評         小林正英

フリーフォール: ジョセフ・E・スティグリッツ 徳間書店 20102

原著: FREEFALL by Joseph.E.Stiglitz 2010

                     

 ノーベル経済学賞を受賞したバリバリのケインジアン(ケインズ派学者)でクリントン政権時代は閣内経済スタッフとして活躍した。本書はごくごく新しい本でリーマンショック前後からのブッシュ・オバマ両政権の取った、世界的バブル崩壊への対応をクリティークしたものである。

 今回の巨大バブルは規制緩和、乱脈融資、テクノロジー(IT)が絡み合って、またたくまに膨れあがり、誰もが危うさを感じている中、破裂してしまったのだ。コーポレイト・ガバナンスの強化とか数々の保険機構の整備とか言われていたが、疾走するバッファローの大群を素手でストップさせる事を誰ができただろう。規制緩和にしても、グラス = スティーガル法の撤廃を皮切りに銀行も証券も保険も商品も取引の垣根は取っ払われ、しかもそれぞれの商品がミックスされて、取引は複雑巨大化して行く。サブ・プライム住宅ローンに端を発したアメリカのローン社会での乱脈融資、アメリカの住宅ローンの仕組みを知らないと、「何故こんな馬鹿なことが起こるんだ」と日本人は思うだろう。本書の中でも解説されているが、アメリカでは資産としての住宅は価値が下がらない(一時の日本での土地神話と同じ)という一般認識で、とうてい成り立たない住宅ローンが押し売りされて行った。また大投資家間では緩んだ信用供与を得て20-30倍のレバレッジを効かせて複雑で理解不能の金融商品を格付け会社の評点を鵜呑みにして、取り引きがなされた。そしてこれらを可能にしたのが、インフォーメーション・テクノロジーの適用の進化である。

一つは複雑な金融商品開発がすみやかに開発可能になったことだ。典型的な例が証券化商品すなわちローンは貸し手と借り手のものではなく、細切れに証券化されて、世界市場に売りさばかれてしまうのだ。通常は破たんの確率が織り込まれて価格が設定されるが、今回のようにローンの大破裂がおこれば、良・不良の判別は不可能になってしまうので、すべて疑心暗鬼の値崩れ債券となってしまう。他の例は世界一の保険会社AIGを震撼とさせたデリバティブ商品CDS(クレディット・デフォルト・スワップ)だ。過去の企業破たん確率を前提にした商品だけに、こんな大規模な破たんの結果、AIGの有り金全部はたいても支払に応じきれなくなった。

もう一つはコンピュタ・ネットワークを活用したグローバルに亘る取引のスピードアップである。マウスのクリック一つで巨大な信用マネーが、株式から商品へ債券へ、投資家のポートフォリオに従って世界を飛び回る。こうした巨大な仕組みがうなりをあげて回っていたのが、なにかのはずみで躓くと将棋だおしのように倒れてしまう。みんな危うさを感じていたが、概ね違法なことはされていなかったのだ(倫理観を問われることは大いにあったが)。

 そしてこのアメリカ発の世界大恐慌に対して、アメリカはどういう対応をしたのか。直前までブッシュはこんなひどい事になるとは考えていなかった節もある。何しろ伝説的なアラン・グリーンスパンFRB議長、クリントン政権時代から続くルービンをはじめとするウォール街からの代表選手で占められた財務長官、ノーベル経済学賞のサマーズと錚錚たるメンバーに囲まれていたのだから。そして事は起こってしまった。さすがのアランも「銀行の経営がこれほどとは」と自らの判断を恥はしたが(この時点でFRB議長はバーナンキに替わっていた)。しかし「百年に一度」などと発言して皆を煙に巻いてしまうあたりは、さすが古狸だ。ポールソン財務長官もあわてふためいてスピード・スピードとバタバタと手を打つが空回りぎみだ。そうこうしている内に選挙が終わりオバマ政権が発足する。ブッシュ時代に設置された金融危機対策チームを新財務長官ガイトナー、FRBのバーナンキ、連邦預金保険公社のシェイラ・ベア、調整役としてのサマーズの四人で構成するが、前政権とは大して代り映えしない面々だ。このチームのリードで不良資産買い取り制度とかバッドバンクのノミネーションとかいろいろ手を打とうとするが、要は金融システムをバブル崩壊直前の状態に如何にして速やかに戻すかに注力し過ぎたと、著者は言う。巨大な公的資金が、不確かな目的に使用されて、ウォール街の強欲の犠牲となって消えて行く。焦げ付いたローンの結果、差し押さえられた住宅は数知れず、職を亡くしたホームレスの群。公的資金投入のプライオリティーはどうなっているのだ。しかし政権としては先ずウォール街の秩序回復が優先だったのだろう、さもないと金融システムがメルトダウンしてしまうことを心底恐れていたからだ。公的資金投入が巨大金融機関を優先して行われた結果、「大はリスクテイクしても構わない」というムードが高まり巨大銀行へ資金が集中する(7%-->30%)。こんな正義があって良いものか。

 著者は主張する、健全な金融システムの再構築を。グラス=スティーガル法を復活させ、コマーシャル・バンクは本来の銀行業務に戻れ、巨大銀行は分割せよ、時価会計原則を緩めるな(サーペンス=オクスリー法を骨抜きにするな)、不当なデリバティブ商品の流通を規制せよ、法外なレバレッジを効かせた取引を規制せよ等々。しかしこの複雑な商品が複雑な市場で飛び回る現在、納得の行く規制の実施が難かしいことも著者は知っている。そして完全雇用に向けて新しい経済秩序を政府の強力な介入のよって構成して行かないと、今回のような事態はまたぞろ発生しかねないだろうと。

 この後著者はノーベル経済学賞受賞者らしく、新しい資本主義の秩序確立に向けての課題についてハイレベルな論を展開して行く。グローバルレベルでの、商品・サービス・労働力の需給バランス、環境資源の適正利用、生活格差、製造業の地位低下、不安定を増す金融業界など、世界が協調して取り組むべき問題を。まあごもっともな話だが、一体いつまでかかることやら。そしてこの

30年以上に亘って世界の経済界を席巻してきたミルトン・フリードマン(シカゴ学派)の市場原理主義への恨みつらみが延々と綴られる。「ほら、見たことか」我々ケインズ派学者が散々警告していたことが起こってしまったではないかと。

 それにしても、20089月以来二か月くらいの間にアレヨアレヨと言う間に世界中の資産が大幅に目減りしてしまった。しがない日本の年金生活者のなけなしの資産も然り。所有株式は殆ど自動車関連株だったので惨憺たる有様、ニュージーランド$債は一瞬にして三割目減りと、怨み骨髄のアメリカ資本主義だ。この本を読んでいると、損失を取り戻すことはおろか、なにかオバマ政権が手を打たないと再発の恐れもある、というのだから厭になってしまう。損失を取り戻せるのは大量に公的資金を投入されたウォール街の強欲な面々だけだろう。割りを喰うのはいつも末端の弱者だ。   以 上

追伸:この書評を書きあげたすぐ後、オバマがウォールストリートに宣戦布告したとの報道がTVに流れた。



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