2010年06月

2010年06月29日

   私の三十一文字日記(十)    牛島照夫

2010年4月

 

2010年04月01日(木)

 住警器部屋ごと設置十年の 電池寿命を我しのぎたし

2010年04月02日(金)

 都心では満開と聞く桜花 多摩の名所は未だ三分咲

2010年04月03日(土)

 腹案はあると明言内閣を まとめ行動成否は如何に

2010年04月04日(日)

 多摩は晴れ桜満開公園で 花見する人歌歌う人

 

2010年04月05日(月)

 新年度ビジネスウィーク始まる日 五時半起床雨空を見る

2010年04月06日(火)

 カフェテリア広き窓より雨模様 緑の中の桜花見る

2010年04月07日(水)

 花曇る四月七日の朝となり 珈琲を飲み気力養う

2010年04月08日(木)

 ようやくに冬の初めの一ヶ月 戸山33投稿準備

2010年04月09日(金)

 満開の富士見公園遊歩して 今年の桜しっかりと見る

2010年04月10日(土)

 父逝きて十九年は疾く過ぎて 記念礼拝昨日挙行

2010年04月11日(日)

 散りぬべき時を知るらしこの春の 多摩の桜は見収めとなる

 

2010年04月12日(月)

 花見の日市長選挙と重なって 投票率は三割台か

2010年04月13日(火)

 小雨の日グリーンサロンに座を占めて 緑潤う公園を観る

2010年04月14日(水)

 半世紀虚構の中に埋没の 難問打開首相は挑む

2010年04月15日(木)

 暖・寒の繰り返す春今朝は雨 草色若芽緑は増さむ

2010年04月16日(金)

 五十年手つかずの件着手した 鳩山総理誠意に期待

2010年04月17日(土)

 寒気来て桜花の後の雪を観て 温暖化説疑問覚える

2010年04月18日(日)

 一時間越えて散策多摩の里 葉桜の下歩数六千

 

2010年04月19日(月)

 駐車場年に一度の抽選会 三十六番六の平方

2010年04月20日(火)

 百万戸公団住居記念する 時計塔出来一世代経る

2010年04月21日(水)

 国内の旅行案内様変わり カラー満載文字は小さい

2010年04月22日(木)

 夕近き駒場キャンパス華やいで 新入生の息吹溢れる

2010年04月23日(金)

 花金の朝雨となり昨夕の 初夏低温の予報を想起

2010年04月24日(土)

 二十年記念式典計画の 日本応用数理学会

2010年04月25日(日)

 白富士の日曜の朝多摩の里 寒気覚えて緑求める

 

2010年04月26日(月)

 体調の不整なる朝見通しに 沿って行動調整計る

2010年04月27日(火)

 思わざる風邪引きとなり受診して 漢方薬の処方を受ける

2010年04月28日(水)

 幹事長起訴相当の審査会 決定が出て国政波乱

2010年04月29日(木)

 南風強き昭和の日の朝に 多摩の緑は日浴びて揺れる

2010年04月30日(金)

 発症の日より六日目風邪残り 座して気力の高まるを待つ

 

 

 

あとがき

 

 「三十一文字日記、みそひともじにっき」は朝起きてからしばらくしてつけます。日記の前の日付は、日記をつけるときの日付です。前日を回顧しての記録と当日の朝の所感が主な題材です。

 

 前回紹介した1867年生まれの祖父の父、私の曾祖父、は1839年生まれと父が書き残しています。1839年は天保九年十一月十六日から天保十年十一月二十六日までです。同期の皆様の中で多くの方の生年である1939年より丁度一世紀前になります。

 

 このころに、印象派の巨匠達が誕生しました。たとえば、

 セザンヌ(Paul Cézanne1839119 - 19061022日)、

 シスレー(Alfred Sisley, 18391030 - 1899129日)、

 モネ(Claude Monet, 18401114 - 1926125日)、

 ルノワール(Pierre-Auguste Renoir1841225 - 1919123日)

達を挙げることが出来ます。(括弧内のデータは、ウィキペディアによります。セザンヌは1023日に亡くなったとする説もあるそうです。)

 

 このことに始めて気づいたのは、20年ほど前のことです。職場近くのスーパーマーケットに複製画の売り場があり、階段の壁にそってセザンヌの静物画、シスレーの水辺の風景画、モネの日傘を差す女性、睡蓮、ルノワールの野外舞踏場、少女像などの大きな複製画が掲げられていたように思い出します。

 

 複製画の下に画家の名前と生年が記載されていたと覚えています。自分の百年前の人達が具象画の最高点に達していたことに気がつき、不思議な心地を味わいました。

 

 美術に造詣はありませんが、時に絵画鑑賞を楽しみます。印象派の絵はとりわけ好きです。自分にとっての絵は印象派が代表しているように思えます。目の疲れが取れ、心が洗われます。

 

 印象派の好きな人は多いと思います。今年の春のシーズンも、東京では印象派を取り上げた絵画展がいくつかありました。新国立美術館で開催のオルセー美術館展2010、森アーツセンターギャラリーで開催のボストン美術館展などです。私は六月の始めにボストン美術館展を楽しみました。

 



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2010年06月14日

「はやぶさ」を世界に誇ろう   高澤明敞

探査衛星「はやぶさ」の帰還。

経済的にも政治的にも、
落ちこぼれ的なニュースばかりが渦巻く今の日本で、
こんな胸のすくニュースに出会えるとは・・・。

単に
「世界中のどの国でもできなかったこと」
を成功させただけではない。

7年がかりで絶望的な状態をいくつも乗り超えての劇的な帰還。

オリンピックだ、世界選手権だと、
金メダルの数が国力の裏付けみたいな風潮があるけれど、
この快挙は金メダル100個くらいの値打ちがある。

この計画には日本の町工場の職人たちの技が関わっているという。

静かに示せた日本の底力だ。

苦節の長旅を終えてその身が燃え尽きる。
旅の証があるかもしれないカプセルをきちんと残して。

これも日本の美学だよな。
たとえ小惑星「いとかわ」の砂がなくたって、
快挙の値打ちに傷が付くことなんかない。

「日本」に爽やかな勇気を与えてくれた。
国民栄誉賞をあげてもいいんじゃない?

ナショナリズムに舞い上がっていると笑うなかれ。

この際サッカーのワールドカップの勝敗なんて小せぇ、小せぇ。

孫の双子の兄弟はこれに合わせるかのように生まれて来てくれた。


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2010年06月13日

孫が2人増えた  高澤明敞

この2か月程、ゴールがない道を彷徨っているようなストレスだった。

出産の経験がない「男」の悲しさで、
リスクが高いという3男のお嫁ちゃんの双子出産を前にただ祈ってた。

「神さま、どうかいいシナリオを用意して下さい」
「ベストのシナリオなんて贅沢は言いません」
「でも、最悪だけは勘弁して下さい」

神さまは双子のお母さんにはかなりの試練を課したようだけれど、
シナリオの結末は最高でした。

12日未明 元気な双子の男の子が誕生!!
上の2人のお姉ちゃんも大喜び!!!
ありがとうございました!!!!!
新しい命


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2010年06月10日

    母校のちょっといい話      今井 雅也

これまで、城北会には50年以上にわたって三宅能生さんが私たちの年代を代表して尽力していただき、前年度まで副会長を務めていただきました。また、井上尚男さんが財務委員長として重責を果たし,一色晃造さん,浅井淑子さんが理事として活躍されてきました。

これらの方々のご苦労に心から感謝し、御礼を申し上げます。

城北会は本年度より新体制となり、住田会長、三宅副会長が退任され、新たに昭和38年卒の前東大総長の小宮山宏さんが会長に、公明党副委員長の浜四津敏子さんが副会長に就任されました。私たちの年代も新たに高澤明敞さん、西俊久さん,今井雅也が新たに理事として活動することになりました。

その新体制の下での最初の理事会が昨日開かれました。その際、現内田校長先生から報告のあったちょっといい話をお伝えします。

 

戸山は進学校としてはたくさんの実績がありますが、スポーツの分野ではアメフット(私たちの頃はタッチフットといっていました)が良い結果を出したことはありましたが、個人種目で優れた成績を残した例はあまりなかったと思います。

それが今年の東京都の柔道の100キロ超級の大会で、3年生の田上創君(たのうえ、と読むそうです)が並み居る他の強豪校の選手をなぎ倒して優勝したそうです。決勝戦も一本勝ちしたとのこと。この大会で都立高校の選手が優勝したことはここしばらくの記録にはない、とのことです。田上君は88日から沖縄の那覇市で開かれる全国高校選手権(インターハイ)に東京都代表で出場することが決まっているそうです。ぜひ注目し、応援してください。

陸上でも400メートルで、東京都で2位になった選手がいて、またその選手を含めた1600メートルリレーでも東京都で4位になったほか、先ほど柔道で紹介した田上君は砲丸投げでも活躍して6位に入賞したそうです。これらの選手は6月18日からの関東大会に出場するそうです。後輩たちはなかなかがんばっています。

 

今年の伝統の対新宿高校定期戦は69敗で3年ぶりに負けたそうです。たまには新宿に花を持たせるのも仕方がないでしょう。水泳の試合は戸山のプールで行われ、にぎやかな応援合戦が繰り広げられたそうです。残念ながら水泳は負け、今年で23連敗となりました。

逆に陸上は23連勝だそうです。

 

今年の城北会の懇親総会は710()午後2時から目黒雅叙園で開かれます。今年は45年卒組が幹事となり盛り上げようとしています。ぜひご参加ください。城北会のホームページを開き、そこに懇親総会の申し込みのところがありますので、そこをクリックしていただきますと申し込みのフォームが出てきますので、それの指示に従って申し込んでください。実は私もこれから申し込みをします。33年卒ではまだ2人しか参加する人がいないようです。ぜひ多くの方の参加を期待します。今年は卒年別のテーブルセッテイングに加えて、運動・文化のサークル別のたての編成や、地域の支部単位(杉並や千葉には支部があるそうです)の編成も行い、たてのつながりも広げようとしているそうです。またオープニングでは戸山高校のブラスバンド(これもなかなかすばらしいそうです)の演奏が行われることになっています。

                            以上

 



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2010年06月09日

私の三十一文字日記(九)     牛島 照夫

2010年3月

 

2010年03月01日(月)

 週末の天変地異に穏やかに 対応出来て国は栄える

2010年03月02日(火)

 政治記事枝葉末節終始して 大局観ある文は少なし

2010年03月03日(水)

 雛の日に気温上昇多摩の里 春の霞はやまなみ隠す

2010年03月04日(木)

 春先の気候にわかに定まらず 今朝は曇天夕、雨予報

2010年03月05日(金)

 三月も五日となって初めての 春のうららの晴天となる

2010年03月06日(土)

 昭和の代皇后陛下誕生日 三月六日今朝は春雨

2010年03月07日(日)

 ヴァイオリンピアノ協奏コンサート 春を奏でる乙女は二人

 

2010年03月08日(月)

 シーリングライト発注引き続き 住宅火災警報器買う

2010年03月09日(火)

 ウォーキング銀行支店Jポスト 家電二店を訪れ戻る

2010年03月10日(水)

 密約の存在証し外相は テレビ出演静かに語る

2010年03月11日(木)

 国別の二酸化炭素出す量は 米中露印第五位日本

2010年03月12日(金)

 円安に振れて株価も上昇し 安らぐ人は少なくは無い

2010年03月13日(土)

 日本国独立自尊あればこそ 世界平和に貢献出来る

2010年03月14日(日)

 同盟の語は外相の発言の 中で始めて聞くと覚える

 

2010年03月15日(月)

 一時間しっかり歩き六千歩 一日万歩難き目標

2010年03月16日(火)

 五十年米に従属初めての 意志表明の成否は如何に

2010年03月17日(水)

 温暖化日本にとって差し当たり 良きことのみと説く人がある

2010年03月18日(木)

 薄曇る多摩の公園散策し 梅花桃花を楽しみ戻る

2010年03月19日(金)

 一週は矢のように過ぎ花金の 朝を迎えて多摩の空見る

2010年03月20日(土)

 旧職場研究会に出席し 歩数一万一千を越す

2010年03月21日(日)

 順調に春分となり気力湧く 春本番の珈琲の味

 

2010年03月22日(月)

 暖かき春分の日に孫が来て 三代揃う夕食となる

2010年03月23日(火)

 振り替えの休日の朝孫の手を 引いて散策桜一輪

2010年03月24日(水)

 旧職場卒業式のその朝は 煙る春雨行く道濡らす

2010年03月25日(木)

 春の雨冬に戻って暖房し 珈琲を飲む朝のひととき

2010年03月26日(金)

 雨空が二日続いて寒戻り 春の便りはしばし停滞

2010年03月27日(土)

 円安に向かい株価も上昇し 新年度へのほのかな期待

2010年03月28日(日)

 順調に時は移ろい今日の日は 弥生三月ラストサンデー

 

2010年03月29日(月)

 時ならぬ小雪ちらつく朝となり 温暖化説何処へ行ったか

2010年03月30日(火)

 幼時より我を支えた小臼歯 別離の時と歯科医師語る

2010年03月31日(水)

 三月を終わる日が来て公園の 桜並木は桃色となる

 

 

 

あとがき

 

 「三十一文字日記、みそひともじにっき」は朝起きてからしばらくしてつけます。日記の前の日付は、日記をつけるときの日付です。前日を回顧しての記録と当日の朝の所感が主な題材です。

 

 以前の日記で、私の祖父の一人は1867年生まれと紹介しました。慶応三年十月三日生まれと聞いています。夏目漱石も1867(慶応三)年生まれです。漱石と親しかった正岡子規もまた1867(慶応三)年生まれです。

 

 こんなことから、慶応三年=1867年と思いこんでいました。昨年五月に今次大戦の終末期に重要な役割を果たした鈴木貫太郎が慶応三年生まれであるが1868年の生まれであるとする記事を読み少し調べました。

 

 慶応三年当時の日本では、太陰太陽暦である天保暦を用いていました。

それで

 慶応三年は1867年02月05日から1868年01月24日まで、

 慶応四年は1868年01月25日から1868年10月22日まで、

 明治元年は1868年10月23日から1869年02月10日まで、

ということになります。

 

 鈴木貫太郎は、慶応三年十二月二十四日(1868年01月18日)生まれとのことです。慶応四年九月八日(1868年10月23日)に明治に改元されました。法制上は、慶応四年一月一日(1868年01月25日)に遡って適用するとされたそうですが、徹底されていないように思われます。

 

 慶應義塾のホームページによりますと、福沢諭吉が安政五年十月(1858年11月頃)に江戸築地の中津藩中屋敷で講義を始めたのが慶應義塾の開基であり、慶応四年四月(1868年5月頃)に塾舎が芝新銭座に移転したときに時の年号をとって「慶應義塾」と命名したとのことです。

 

 明治改元の時の法制上の明治元年が徹底されれば、「慶應義塾」は「明治義塾」で、明治大学と紛らわしいことになっていたかも知れません。明治大学の創立は1881(明治14)年で来年は創立130周年を迎えるとのことです。

 

 なお日本における西暦(グレゴリオ暦)の採用の日は1873年01月01日です。この日は天保暦では明治五年十二月三日でしたが、その日を明治6年1月1日にしたとのことです。

 

 (現行の常用漢字表の字体では、慶応の応は応を使います。)

 

 



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