2010年07月

2010年07月19日

  W-Cupが終わった(その一)     西 俊久

W-Cupが終わった。深夜、早朝の中継観戦で寝不足気味、数多の熱戦、好プレイに興奮未だ冷めやらぬ状態である。白人も黒人も、南ア代表の黄色いユニフォーム姿で、国旗を振り熱狂する。南アでは、サッカーは黒人のスポーツ、ラグビーは白人のスポーツとされてきたのだが・・・

 

15年前、同じヨハネスブルグでの光景が思い出される。ラグビーの世界では南アはニュージーランドと並び称される強豪国。しかしアパルトヘイト政策に対する制裁措置として、1977年以来、国際ラグビーの舞台からボイコットされていた。ようやく1992年にボイコットが解かれて、1995年にはW-Cupの開催国となっただけでなく、宿敵ニュージーランド・オールブラックスを破って優勝したのである。

 

マンデラ大統領が南ア代表チーム、スプリングボクスのジャージー、キャップ姿

で、チームを祝福する姿が世界中に配信された。私は、開催国大統領としては当然のことと特に気にも留めなかった。しかし事はそれほど単純なものではないことを次第に思い知らされるようになった。

 

(1)     当時の南アの情勢

峯陽一同志社大学教授の学士会における講演『南アフリカの行くへ−−−マンデラの虹は消えたか』に詳しい。

 

ネルソン・ロリシャシャ・マンデラ:

1918年、トランスカイ地方首長の息子として誕生;1962年、African National Congress (ANC)の闘士として反政府武装闘争を行った廉で投獄され、以後27年間独房に幽閉される;1990年、解放;1993年、ノーベル平和賞受賞;1994年〜99年、南ア初の黒人大統領。

 

南アでは、全人口の10%に過ぎない白人が、国土の90%を支配していた。各国からの圧力、干渉が強まるなか、このような体制をいつまでも持続することができない。政府は水面下でANCと交渉開始、1990211日、遂にマンデラは解放された。

 

長年の圧政に怒る黒人に「白人との妥協も必要」と説けば裏切り者の烙印を押され、白人はと言えば黒人の復讐を恐れて武器を取り、内戦状態に陥る危険を孕んでいた。マンデラは忍耐強く両者に和解を求める。彼が黒人と白人の情念の暴発を抑えきることができなかったなら、90年代の南アは第二のユーゴスラビアになっていたことだろうと言われる。

 

曰く「黒人はそれほど偏狭ではない。白人が過去を反省し、新しい南ア建設に積極的に貢献するなら、わたくしたちは地上に虹の国を創り出すことができる」と。そして1994年全国民による選挙の結果、マンデラは黒人として初めて南ア大統領に選出されたのである。

 

・・・その二に続く・・・

 



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2010年07月17日

W-Cupが終わった(その二) 西 俊久

(2)     映画Invictus (ラテン語、征服されざる者。マンデラが獄中座右の銘としていたウイリアム・ヘンリーの詩の題名である)

この映画には、なぜ白人圧政の象徴ともいうべきスプリングボクスが、白人の国でもない、黒人の国でもない、一つの国家、南アフリカ連邦としてまとめあげる原動力となったか、が活写されている。

 

スプリングボクスは白人にとってほとんど信仰の対象ともいうべき存在、一方黒

人にとっては、白人による圧制の象徴であって、アパルトヘイトが廃絶された以

上、真っ先に抹殺されなければならない存在であった。スプリングボクスのユニ

フォームは変更し、ロゴの使用は禁止されなければならない。

 

ところがマンデラは、白人との融和を図るためには、スプリングボクスが全南ア

国民のものとして認知されることが不可欠であると考えた。"One Team, One Country"をモットーとして、スプリングボクスのキャプテンに対して、1995年のラグビーW-Cupで優勝することが、南アが一つの国として融合するために、計り知れない貢献をすることになると説き、そのためには大統領としてあらゆる支援、協力を惜しまないことを約束した。

 

かくしてスプリングボクスは見事1995W-Cupに優勝したのである。決勝戦の日、スプリングボクスのユニフォームに身を固めたマンデラがグランドに姿を現すと、観衆からは白人も黒人もなく一斉に「ネルソン、ネルソン」の大合唱が起きた。

 

私にとってごく当たり前と思われた、スプリングボクス・ジャージー姿のマンデ

ラは、かくも重大、深刻な歴史的瞬間の象徴そのものであったのだ。マンデラが「南ア国民の国父」となった瞬間だったのである。

 

(3)     その後の南ア情勢

アパルトヘイト体制が成立したのは1948年、アパルトヘイト廃絶まで約40年間。現在の南アの人口は5000万人、内20歳未満2000万人、つまりアパルトヘイトの記憶がない層が40%を超えている。

 

マンデラの後継者ムベキ大統領は新自由主義を唱えて、南アには世界の資金が集まり、この10年間、平均4%ほどの成長率を記録している。一方では、貧富の差が激化し。失業率24%に達している。都市黒人の半分近くはまともな職がなく、犯罪頻発。1000万人を超える底辺層の不満、アパルトヘイト廃絶により人種間格差に代わって貧富格差が拡大している。20085月に起きた「反外国人暴動」が象徴的である。はたしてこれがマンデラの限界なのか、はたまた遺産を食いつぶした結果なのか?

 

サッカーW-Cupは、このような情勢下で開催されたのである。

 

(4)     宴のあと

10/7/11NY TimesCelia W. Dugger記者は報道する。

南ア人が自らを見る目を、どれほどW-Cupが変えたことか、どれだけ、南ア人を一つに結び付けたことか。何年にもわたる注意深い投資と計画を要する巨大イベントを遂行することができることを世界に示したのである。心配された治安上の問題もほとんど起きていない。

 

一方では50億ドルともいわれる投資に見合うだけの成果が上げられたか、期間中の平穏は大量の警察力導入によるもので、いつまでもこれを続けることはできないという声もある。

 

大新聞一面には大見出しが躍る:「なんというショーであるか!(The Sunday

Times)」、「アフリカにとって最も偉大な瞬間!」(The Sunday deependent)」・・・・今この瞬間、南アの人々がW-Cup大成功の喜びを噛みしめているのは当然なのである。

 

祭りは終わった。「歓楽尽きて哀情多し」となるのか、「明るい未来に向けての

力強い一歩」となるのか、目の覚めるようなゴール、セーブの余韻にいつまでも

浸っていられない気分になって来た。

 

以上



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2010年07月16日

中村(奥山)靖子さんが亡くなられました。

中村(奥山)靖子さんが7月14日に亡くなられた、とのご連絡を高木純子さんからいただきました。
がんを患っていらしたのですが、ここに来て急に体調を悪化させ、意識不明となられたそうです。
中村さんは1年D組、2年A組、3年G組でした。また合唱を楽しんでおられ、50周年記念誌にも合唱の話を書いてくださいました。
通夜は7月18日、告別式は19日の11時から東武東上線のときわ台駅そばの
ときわ会館で行われるそうです。
                              今井雅也



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2010年07月04日

書評 アメリカ帝国の滅亡   小林正英

アメリカ帝国の滅亡: ポール・スタロビン 新潮社 200912

原著:After America----NARRATIVES FOR THE NEXT GLOBAL AGE                      Paul Starobin  2009

 

 我々の年代にとって、終戦直後の洟垂れ小僧の時からアメリカは常に疑いなく偉大な国であり、世界一の存在であった。今のアメリカ大衆もそう思っているに違いない。しかし建国以来200年余のこの国も紆余曲折があり、大英帝国から独立した当初はショボくれたものだったのだ。この本は丘の上からアメリカの歴史を肩に力を入れることなく俯瞰し、ひらたくその紆余曲折を記述した歴史書である。世の中には栄枯盛衰があり、冷戦直後絶頂期にあったアメリカ一極主義など続くはずは無いではないか、と冷めた視線の観察である。

 アメリカが旧宗主国何者ぞ、という状況になるのは南北戦争が終了し、大陸横断鉄道が開通し、産業資本が充実して国民総生産がイギリスをはるかに凌ぐようになってからの話だ。その段階に至って、アメリカは天啓を受けた特別な存在(Manifest Destiny)である、という考え方が広まってくる。

20世紀に入りヘンリー・ルース(1898年生の宗教指導者)と言う超愛国的な人物が現われ、20世紀は「アメリカの世紀」を標榜する。彼は1920年にタイム紙を発刊し、10年後にフォーチュン、ライフ紙といったアメリカを代表する週刊メディアを発行してアメリカ人のオピニオンを支配して行く。「すぐれた着想と楽観性とエネルギー」に恵まれたアメリカ国民はどんな国際問題でも解決できると。第一次世界大戦ではまだ及び腰の参戦ではあったが、第二次世界大戦で連合国の戦勝に大きく貢献すると、アメリカこそが以後の世界平和を守るリーダーであるとの姿勢を取り始める。なにしろ、戦争終了時点では敗戦国も戦勝国もすべて疲弊していて、世界の総生産の大半をアメリカが握っていたのだから。そして世界を共産主義の脅威から守る自由の戦士として、世界各地に軍事基地を設け軍を展開して行く。アメリカ民主主義帝国の始まりである。

そして1990年のソビエト連邦の崩壊を以って、アメリカ民主主義帝国が勝利するわけだ。この時からアメリカ一極主義が、末永く継続するような風潮が支配する。

フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」に代表される著作やら

PNAC(Project for New American Century)のような所謂ネオコンの活動がもてはやされる。2001年のアルカイダによる9.11同時多発攻撃を切っ掛けにアメリカはテロとの戦いに突入しアフガン、イラクへと侵攻する。これに伴いアメリカは世界百数十カ国に200余の軍事基地を設定する。しかしアフガンにしてもイラクにしても、アメリカが言うところの普遍的価値観の定着には随分手間取っているようだ。そうこうしている内にネオコン勢力も影が薄くなり(前述のPNACも解散)、拡大する軍事費と人的資源の損失に国力の疲労が見えてきた。

そして、アメリカ発の世界同時大不況。アメリカ一極主義をとなえてから20年、世の中は思いどうりには行かないものだ。

その間、インド、中国、ブラジルなど新興国の興隆、エネルギー神風を背景としたロシアの復権で世界は多極化してしまった感がある。一方中東情勢は相変わらず混迷し、核が拡散して人々は新たな大量破壊テロに怯えるようになった。

世界はカオスに突入するのだろうか。ここに作者の楽天的性格が見え隠れする。

カオスによって悪い結果ばかりを想像するけど、思わぬ良い結果も生じることがあるのだ、人類の歴史はそんなものだっただろ。

 このあと、作者はこれからの世界の可能性を歴史的に地理的に考察してアメリカが覇権を放棄した後の世界を語るのだ。特に現在の世界を構成している、国民国家の行き詰まりやシンガポールやドバイのような都市型国家の有望性そして究極の世界政府実現の可能性に多くの紙面を割いている。要はアメリカが一人でいれこまなくても、世界はなんとかなるさ、という乗りなのだ。ただし多極化時代(無極化時代)に入って多くの覇権が競われる中、わりを喰う国家も多数出てくることが予想されている。日本も当然その中にある。日本語のタイトルよりも原題After AMERICAが本文の文脈に適切だ。

 日本も速やかに戦後体制から脱却して、自主独立の国家意識を持たないと先進国の一員として、この時代を乗り切って行けない不安がよぎる。

                    以 

 



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